PSプラスエクストラ以上に変更予定の方はゲーム購入を保留した方が良い

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6月からのPSプラス対応タイトル確認まで我慢

2022年6月1日よりプレイステーションプラスのサービス内容がリニューアルされます。上位プランを契約することで、対応タイトルは遊び放題となります。

現在各種セールでゲームタイトルが安くなっていたりしますが、購入したタイトルが来月には遊び放題となるかもしれませんので、対応タイトルが確認出来るまではゲームソフト購入を控えた方が良いかもしれません。

PSプラスの新プラン

プレイステーションプラスに上位プランが追加されます。

プラン料金や特徴

エッセンシャル

1ヶ月 ¥850 / 3ヶ月 ¥2,150 / 12ヶ月 ¥5,143
従来のプレイステーションプラスと同様のサービス内容

エクストラ

1ヶ月 ¥1,300 / 3ヶ月 ¥3,600 / 12ヶ月 ¥8,600
数百本のPS4、PS5タイトルが遊び放題

プレミアム

1ヶ月 ¥1,550 / 3ヶ月 ¥4,300 / 12ヶ月 ¥10,250
さらに体験プレイが可能
PS、PS2、PSP、PS3タイトルのプレイが可能

エクストラプラン以上を選択すると、数百本のPS4、PS5タイトルが遊び放題となります。もしかすると話題作りのために新作ゲームもラインナップに入ってくるかもしれません。セールになるようなタイトルですと発売から期間も経っているため、余計に対象タイトルとなる可能性が高いです。新プランでの対応タイトルが発表されるまでは、購入を保留して様子見した方が良さそうです。

私はプレミアムプランにしたいと思っていますが、いずれにしても対応タイトル次第という感じでしょうか。海外ではPS〜PS3のクラシックタイトルは240本程度と言われています。日本はそれよりは少ないようですので、どのようなタイトルが遊べるのか楽しみです。

昔、自分が購入したタイトルが遊べるようになれば最高なのですが無理でしょうね。

プレイステーションプラスのサービスが始まってから、これほど大幅に見直しが入るのは初ですので、期待以上のサービスになれば嬉しいですね。

【おまけ】初代プレイステーション時代からの思い出

歴代プレイステーションのハードウェア世界累計実売台数が5億台を突破した際に、公式Playstationブログで歴史を振り返る記事が以前公開されました。興味ある方はこちらも覗いてみてください。

すべてのプレイステーションユーザーのみなさんへ──世界累計実売台数5億台突破に心からの感謝をこめて
本日8月24日(金)、歴代プレイステーション®ハードウェア世界累計実売台数5億2,530万台突破(*)に際して、PlayStation®4 Pro特別デザインモデル「PlayStation®4 Pro 500 Milli

私はゲーム機の進化をリアルに体験している世代ですが、PS2後期までは「セガハード派」でした。そんなセガハード派目線で、初代プレイステーション発売当時の思い出を振り返と思います。

1994年12月3日に発売された初代プレイステーションは衝撃的でした。当時3Dポリゴン(CG)がゲームに活用され始めた時期で、同時期にゲームセンターで稼働していたセガバーチャファイターが大人気でした。当時はテクスチャ(表面に貼る模様)も貼られていないカクカクのポリゴンでしたが、ドット絵とは明らかに違うスムーズな動作が人気の理由だったと思います。そんな新技術(3Dポリゴン)を取り入れたゲームが家庭でも遊べるということがまず驚きでした。

ソニーの戦略で上手かったのが、ゲームソフトの流通改革も同時に行ったことです。当時スーパーファミコンのゲームソフトは、価格が1万円を超えるものも出始めていた時期でしたが、プレイステーションのゲームソフトは5,800円と低価格でした。流通上で中間マージンがかからないようにし低価格化しました。

セガ派の私としては、当然1994年11月22日に発売されたセガサターン推しでした。セガサターンはプレイステーションの高性能ぶりから、急遽メインCPUを1個から2個に増やすという力技で対抗しました。また、当時絶大な人気を誇っていたバーチャファイターが遊べるということで、発売当初はプレイステーションとセガサターンで僅差のシェア争いをしていたように感じます。当時の覇者の任天堂はまだスーパーファミコンでイケると感じていたのか、新ハードは1996年のニンテンドー64になります。この空白期間が任天堂にとって大きな痛手だったように感じます。

そこから、さらなる衝撃!が、超人気RPGの最新作ファイナルファンタジー7(FF7)がプレイステーション独占で発売されたことです。FF7は従来のRPGとは比較にならないぐらい綺麗なグラフィックと世界感でゲームファンを驚かせました。FF7がきっかけでプレイステーションは圧倒的に販売シェアを伸ばしました。

当時セガ派の私も我慢できず、友達から本体ごと借りてFF7をプレイした記憶があります。プレイステーションに搭載されていたモーションJPEGという、一枚絵を連続的に表示させる機能と、リアルタイムな3Dポリゴンをうまく組み合わせた手法は、思い返せばスゴイなと思います。当時のゲームハードの性能をうまく使ったゲームデザインでした。プレイステーションが強かったのは、ゲームソフトの開発がしやすいというのも大きかったのだと思います。セガサターンはあいかわらず従来のセガハード同様に、セガ自身のゲーム以外は非常に少なかったです。

プレイステーションの好調に引き続き、2000年3月4日にプレイステーション2が発売されました。プレイステーション2はさらなる高性能ぶりと最新機能を非常にアピールしていました。128ビットCPU「EmotionEngine」、3Dポリゴンの表現を引き上げるGPU「GraphicsSynthesizer」、DVDドライブ搭載といった高性能ぶりでした。

特に当時はDVDが出始めたころでDVD再生機が10万円という時代に3万9,800円でDVD搭載のPS2が発売されたことは衝撃でした。DVD再生機としてもかなり売れていたと思います。さらにプレイステーション2(PS2)にとってラッキーだったのは、映画Matrix(マトリックス)のDVDが爆発的に売れたことです。あの映画をはじめて観た時は、それまでに観たことが無い演出の数々に驚きました。

私がセガハード派に別れを告げたのもこの時期です。PS2発売の少し前、1998年11月27日に発売のセガドリームキャストをすでに持っていましたが、DVDも観られるPS2は羨ましかったです。ドリームキャストの失敗でセガはゲームハード事業を撤退したので、セガハード派をやめるのは仕方無かったんですけど。。

とはいえ、ドリームキャストは凄く良いゲーム機でした。歴代セガハードの中では最も完成度が高かったと思います。しかし、いかんせん相手が悪いというかPS2が凄すぎました。ドリームキャストにDVD再生機能が無く、専用規格のGD-ROMが採用されたことは、当時何故?と感じた記憶がありますが、今考えてみると当時セガがDVDを採用するのは無理だったのかなと思います。しかし、インターネットがまだアナログ電話回線の時代に、ファンタシースターオンラインではじめて体験した、ネット上のプレイヤーとリアルタイムに共同プレイする感覚は新鮮でした。シーマンは意味が分からなかったけれど、画面上のデジタル生物に話かけて楽しむ、という感覚は時代を先取りし過ぎた感がありました。最近シェンムーのアニメが放映されていますが、シェンムーもドリームキャストのゲームでした。

PS2が発売されるまでは、最新のゲームはゲームセンターのアーケードゲームで登場し、しばらくすると家庭用ゲーム機に移植される流れでした。アーケードゲームの筐体は数十万〜数百万円ですから、性能の違いから家庭用ゲーム機にはアーケードよりも、かなり劣る映像で移植されていました。しかし、PS2になるとほぼアーケード版と同等の映像表現が可能となりました。人気格闘ゲームの鉄拳などはPS2互換の基盤で開発されていましたから、アーケード版登場からあまり期間を置かずにPS2で発売されました。しかも映像はほぼ同じということで、ゲームセンターにわざわざ足を運ぶ人がこの頃から減少しはじめました。

2006年11月11日に発売されたプレイステーション3(PS3)は夢のあるハードでした。PS2のDVDに続き当時最新のBlu-Rayドライブを搭載し、マルチコアCPUのCellBroadbandEngineを搭載していました。また、本体にハードディスクを内蔵するなど、パソコンに近いハードウェア構成になりました。とにかく機能てんこ盛りで、当時はゲームファン以上に映像オーディオファンの方がPS3に熱心だったんじゃないかと思います。PS3発売日のことは今でも覚えていますが、特にBlu-Rayドライブが品薄で本体の出荷量が極端に少なかったことが印象的です。私はたまたま地方のゲームショップに入荷されたものを発売日に購入出来たのですが、都市部のゲームショップでは混乱となりニュースにもなりました。有名なフレーズ「物売るっていうレベルじゃねえぞ!」は、この混乱の中で発せられたものです。

PS3に搭載されたCellBroadbandEngineは、現在のCPUでは主流のマルチコアCPUの走りで8コア(うち7コア使用)で構成されています。当時はPC用のインテルCPUが1コアのペンティアム4でしたから、当時CellBroadbandEngineで今まで体験したことがないようなゲームが登場しそうだと夢を膨らませていました。しかしフタを開けてみると、マルチコアCPUでの開発ノウハウが無く、グラフィックを担当するGPUが貧弱だったことや、マルチコアCPUを扱うにはメインメモリが少な過ぎたこともあり、PS3の性能を引き出したゲームソフトが登場するまでに、かなりの時間がかかりました。

PS3あたりで家庭用ゲーム機が下火になり、PCゲームが一気に流行り出しました。私もPS3時代はPCゲームをプレイする時間が最も多かった気がします。ゲーム開発会社も家庭用ゲーム機からは離れ、PCゲームにシフトしていきました。海外の開発会社はPCゲームにシフトし、より最先端なゲームを開発し、国内のゲーム会社は携帯ゲーム機にシフトし性能勝負からアイデア勝負に移行しました。このあたりから日本国内のゲーム開発会社と、海外の開発会社で技術格差が広がり始めたと思います。現在はかなり差も縮まってきたと感じますが、まだまだ技術力の差は大きいです。

PS3はゲーム専用に設計された最後のゲーム機となりました。最近のゲーマーの方には信じられないかもしれませんが、昔はゲーム機が家庭内のコンピューターの最先端でした。現在のようにPC用のGPUなど手軽に買える時代ではなく、PS2はCPUもGPUも完全専用設計です。PS3からは少しPCと融合し始めましたが、CellBroadbandEngineはほぼ専用設計です。しかし、PCゲームが主流(特に海外では)の時代となり、ゲーム機のためにCPUやGPUを専用設計するという時代は終わりました。

PS3で失敗したソニーが、満を持して2014年2月22日に発売したプレイステーション4は、原点に帰ったなと感じました。ソニーはゲーム機である事を主張し、またゲームソフトが作りやすい環境を整えました。PS4はPS2やPS3に比べると技術面での派手さはありませんでしたが、当時驚いたのはGDDR5メモリを8GBも搭載していたことです。従来のゲーム機はコストの関係でメインメモリーは少なめが基本で、そこがゲーム開発者を悩ませる部分だったのですが、PS4では扱いやすさを優先しメインメモリーはかなり多めに設計されました。PS3時代にPCゲームやスマホゲームに退避していたゲーマーも、PS4で家庭用ゲーム機に徐々に戻り今に至るという感じです。セガハード派目線で振り返ってみたプレイステーションの歴史ですが、改めて振り返ってみて感じたのは「セガってとことんツイていない会社だな」という感じでしょうか。自業自得な部分は多々あるものの、セガサターン発売の時点で、もしもソニーが参入していなかったら。とか、いろいろ可能性を考えると面白いです。これから、まだまだ家庭用ゲーム機が盛り上がってくれると嬉しいですね。

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