若者の「面倒くさい」を後ろ向きだと一蹴せず「新たな力」に変える

面倒くさいと感じることは必要なこと

日本人は特に必死にがんばることを美学と考え、楽して儲けることを悪だと考える傾向にあります。グローバル社会で諸外国はいかに楽して儲けるか、少ない人数でコストをかけずに利益を最大化するかを考えている中で、日本的な考え方では太刀打ちできるはずがありません。

例えば入社数年の若手社員が、仕事を「面倒くさい」と言いながら実施していた場合、多くの方は何を甘えたことを言っているんだ。と感じてしまうはずです。しかし、最も恐れるべきは、面倒くさいとも感じずに、ただ黙々とその決められた仕事に没頭し、成果を上げているつもりになってしまうことです。

面倒くさいの裏には「こうすれば良いのに」が隠れている

自分がやっていることが最善なのだと感じている方は、面倒くさいとは発言しないはずです。木の棒を擦って火起こしをしていた時代に、火起こし面倒くさいとは思わないでしょう。しんどいなとは思うかもしれませんが。しかし、ライターなどで火をつけることを知っている現代人にとっては、木の棒での火起こしはかなり面倒くさい行為です。

「面倒くさい」という若手社員はライターでの火起こしを知っており、その面倒くさいをけしからんと一蹴する中堅社員は木の棒での火起こししか知らないのです。

ぜひ、面倒くさいと声に出さずとも、そのような雰囲気を若手社員に感じ取ったならば、その社員に改善策を提案してもらうタスクを任せることをおすすめします。(ちゃんと権限も渡すこと)

世の中の面倒くさいを感じ取れるかが成功のカギ

モノが溢れ、不自由なく生活できる現代では、昔のようなハングリー精神はなかなか芽生えません。世の中のビジネスのほとんどは「面倒くさいを改善したい」から生まれているはずです。しかし、最近は人々とくに若年層は物欲も低下し、社会はこうあるべきだ!という強い信念も無くなってきています。

そんな中、企業内の数少ないハングリー精神の持ち主を見つけ出し、新しいアイデアや改善策を打ち出すことが必要です。ぜひとも「面倒くさい」と嘆いている社員を、後ろ向きで使えないやつと決めつけず、力を発揮できる場を与えてみてください。組織に面白い変化が起こるはずです。

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